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なんか色々書きます

ら抜き言葉・い抜き言葉は悪か?

「食べれる」「見れる」。今やSNSの普及も手伝って、むしろ「間違っている」として有名になってしまった「ら抜き言葉」。しかし、本当に「間違っている」のでしょうか?

ら抜き言葉い抜き言葉

ご存知とは思いますが、例えば「食べられる」*1から「ら」を抜いて「食べれる」としたものを、「ら抜き言葉」といいます。

一方で、少し知名度は下がりますが、「食べている」*2から「い」を抜いて「食べてる」としたものを、「い抜き言葉」といいます。

いずれも、「誤用」の例として有名です。確かに、いま正しいと信じられている口語文法からすれば誤りですね。

そもそも「正しい言葉」って?

たとえば、ある文書の校閲をするという場合には、その文書の中から内容的・文法的な「誤り」を探して、それを「正しい」表現に直すわけです。しかし、そもそも正しい日本語とはどのようなものを言うのでしょうか。

「日本人の9割が間違えた日本語」というような触れ込みの本や問題集が、いま人気になっていますね。ただ、これを言い換えると「日本人の1割しか使っていない言葉」ということになるわけです。言葉はその特定のコミュニティ内で通じてこそ言葉としての意味を持つのであって、内の1割にしか通じないのであれば、果たしてそれは「正しい日本語」と言えるのでしょうか。僕はそうは思いません。

古ければ古いほど正しい?

たまに、「○○時代の文献には××という表現があるからこれが正しい」のように、古い文献を持ち出して言葉の正当性を主張する人が居るのですが、僕はこの手法も誤りであると考えています。

古ければ正しいのであれば、なぜ古語は廃れたのでしょう? 「古ければ正しい」派の方にはぜひ日常を古語で過ごしてもらいたいと思っています。

言葉は移ろいゆくもの。普遍的に正しい言葉使いなど存在しないわけです。

文科省(あるいはNHK)が定めたものが正しい?

文科省NHKが定めた資料(公文書の書式と文例など)を持ち出して、これが正しいという人も居ますが、これも正確ではありません。

文科省の定めた資料はそもそも古いので、前節で述べた通りの理由で正しいか否かは怪しいところです。もちろん、お役所の人はそれを使うのが「業務上正しい」のだと思いますが、一般社会的にこれが「正しい日本語」であるかは別問題でしょう。

一方で、NHKの方はもう少し正確性は高いです。一般に、新語が生まれると、長い時間を経て、世間に十分に受け入れられてから、最終的にNHKが追認して使い始めます。そう、「追認」ですから、順番は逆なのです。「NHKが正しいと言うから正しい」のではなく、「世間に広まったからNHKが使い始める」のです。この意味で、「NHKが正しい」というのも正確ではありません。

ら抜き・い抜きが自然な場面

ら抜き・い抜きは、「誤りでない」だけではなく、むしろ正当性を持つ場面すらあります。

ら抜きは可能用法に限られる

「クッキーを食べられる」

助動詞「られる」には様々な意味がありますから、これだけ見ると、

  • 受身:クッキーを他の人に横取りされて食べられてしまう
  • 尊敬:お偉いさんが、クッキーを召し上がる
  • 可能:お腹が十分空いていて、アレルギーもないので、クッキーを食べることができる

という複数の可能性が出てきます。こうなると、文脈を読まなくてはならなくなります(稀に文脈を読んでも判断に困る場面もありますね)。

しかし、ら抜き言葉であれば、確かに「クッキーを食べれる」と言うだけで《可能》の意味であると即座にわかります。

ただ、僕自身はこの論理に対してあまり肯定的ではありません。どうにも後付けの言い訳にしか見えないですからね。

「食べている」はカタすぎる?

突然ですが、次のうちどちらが自然に見えますか?

  • 「今は何をしているの?」「クッキーを食べている」
  • 「今何してるの?」「クッキー食べてる」

上の方はカタすぎると思いませんか? い抜き言葉ら抜き言葉は、言葉遣いに親しみをもたせてくれます。このことから、僕はい抜き言葉については場合に応じて使い分けるようにしています。ちなみに、自己紹介記事でも、あえてい抜き言葉を使っています。

では、校閲者は何をすべきか?

以上のように、時代や場面に応じて「適切・自然に思われる」言葉は様々です。ならば、校閲をする人は何をするべきなのでしょうか。

僕は、校閲の際には必ず以下の内容を伝えます。

僕が疑問に思った点は全て洗い出しましたが、これを反映するか否かはあなた次第です。

さらに、疑問に思った理由についても極力伝えるようにしています。このように、適切ではないと捉えられてしまう危険性を指摘していくことが校閲者にできる精一杯なのではないかな、と思います。

もちろん、新聞社や出版社、役所などで行われているプロの校閲では、きちんと基準が定められているでしょうから、それに従うことが一番でしょうけれど。

おまけ:ら入れ・さ入れ

ら抜き・い抜きが、言葉遣いを「気にしなさすぎ」で起きた言葉の変化であるとすれば、「気にしすぎ」によって起きた言葉の変化もあります。

「電車に乗れる」は「ら抜き」ではありません。なぜなら、「乗れる」は可能動詞として存在しているためです。しかし、「ら抜き」を気にしすぎるあまり、「乗られる」としてしまうことがあります。これは「ら入れ言葉」と言われています。

もちろんこれも誤りとは言えませんし、むしろこちらの言い方の方が「古い」です。元々これも未然形「乗ら」+助動詞「れる」で「乗られる」が使われていたのですが、古くから可能動詞として「乗れる」が認められています。このあたりの議論についてはこちらのサイトを参考に。

さらに、「読ませていただく」*3が正しいとされている表現なのに対し、「読まさせていただく」とさらに「さ」を入れてしまうことを「さ入れ言葉」というようです。

*1:食べることが可能である。動詞未然形「食べ」+助動詞「られる」

*2:いままさに、食べる行為の最中である。動詞連用形「食べ」+接続助詞「て」+補助動詞「いる」

*3:動詞未然形「読ま」+使役助動詞連用形「せ」+接続助詞「て」+補助動詞「いただく」